《番外編》わたしは地方の片隅で、ジャージを着てパチンコをまわしていた【文責・雨宮美奈子】

夏休みに入ってしまった、雨宮美奈子30歳。そんなわたしが25歳の頃に書いた、地方から東京を見つめた葛藤のエッセイを整え直し、改訂版としてお届けいたします。これはジャージを着てパチンコをまわしていた少女が、銀座のシャネルで胸を張って歩くまでのお話。<文責・雨宮美奈子>
雨宮美奈子 2021.08.02
誰でも

雷雨、通り雨、そんな雨模様を通り越して景色はすっかり夏。

思った以上に深刻そうなコロナ拡大、変異株の猛威、それらを日々ニュースの文面から読み取ってみれば、すぐそこに迫った感染爆発の未来の気配。その背後を嬉しそうに通り過ぎていく、どこか能天気なオリンピック生中継の数々は希望と笑顔に満ちていて。さて混沌とした夏が今、始まっていますね。

そんな中で今週の『文責・雨宮美奈子』は、個人的な夏休み期間に突入したために休載とさせていただきます。……とは言っても、何も配信しないなんて味気ない、ということで今回は以前、2015年の年末にnoteに掲載した非常に短いさっぱりとしたエッセイを書き直した、改訂版をお届けすることにしました。

タイトルは「わたしは地方の片隅で、ジャージを着てパチンコをまわしていた」。

あのとき確かに感じていた、25歳のわたしの東京への憧れ。福岡という地元に残ってしまったことへの焦燥感。ひとつひとつの言葉は粗く、ひどく甘く未熟な文章の連続だけども、きりりと胸が締め付けられるような若さの中での切なる葛藤は、自分自身で読み返してもみずみずしく、恥ずかしいけれども、再掲してもいいなと思うものでした。ということで、今回の番外編配信に使わせていただきます。

誤字脱字を直したり、いくつかのあの時書きたかったけどうまく言葉にできなかった言葉を付け加えながらの、30歳の今のわたしがちょっぴり整えた改訂版としてお届けいたします。

地方にいることを経済的理由で選んでしまった、インテリぶった小娘の葛藤と退屈な日々、弱気な立ち位置の現実的な心情の揺れ。

そう、これは過去の世界、25歳の雨宮美奈子から届いた言葉。そのことをどうかしっかり念頭に置きながら、お手柔らかに、ぜひともご笑覧いただければこれ幸いです。

***

わたしはきっと、夢をみていた。東京。あの街へ行けば、わたしは何者かになれるのではないかと、ずっと思っていた。望む人間関係も、望む未来も何もかも、すべてが手に入るのだとなぜだか信じ込んでいた。

いま思えば、当時のわたしの東京との接点はインターネット、それだけだった。Twitterで東京の人と寝る間も忘れて気軽に絡む瞬間、わたしは己が地方の福岡の小さな学生アパートの一室にいることを忘れてしまう。それが何より面白くて、夜な夜な、毎晩深夜までTwitterを眺めていたのが10代の終わる頃の話、大学一年生の頃の話。空が明るくなる頃に布団へ潜り、Twitterで教えてもらった哲学書などをAmazonで買い、やっと眠りにつくのが日課だった。

あの頃、地方からインターネット越しに見た東京は、毎日が刺激的なように映った。まだインターネットが平和で、野心的で、希望だらけだった頃。わたしはTwitterで見つけた面白そうな人たちに、バイト代をためては格安航空券で毎月東京まで会いに行った。インターネットを使って、人間関係をじわじわと拡大させていた。 

当時のわたしは、東京のように日々多くの人に溢れているということは、それだけ気が合う友人を多く見つけられる可能性に溢れているということだと思っていた、そしてそれは正解だった。多くの若者に野心があり、未知のものへも寛容な受け皿がある街だと信じ込んでいたからだ。加えて偏差値の高い大学も集まっているもんだから、きっと教養の豊かな人間がたくさんいて、高校時代に読んだマイナーな文豪の本を語り合えるような、地方の片隅で孤独だったわたしを癒してくれる仲間が見つかる場が東京だと理解していた、これもまた正解だった。

インターネットで見つけた仲間たちは、福岡にいるわたしを不憫に思いながらも、上京するたびに必ず時間を捻出して歓迎してくれていた。東大生や慶應生の友人が多くでき、彼らは「君は大学を中退して受験し直してでも、今からでも東京へ来たほうがいい」と何度も説得してきた。アーティストや作家の友人たちは「今すぐ退学してでも来たほうがいい、一緒に住もう、お金の心配もいらない」と何をするのかわからない同級生に対して、どこまでも用意までしてくれようとした。

こんな名もなき地方の田舎の大学生に何を感じてくれたのだろう。そのすべては確かにありがたかったけれど、余裕があればそうしたいと思っていたけれど、親への手前、家計的な状況も含め、そんなことはできないと頑なに思っていた。実際、わたしは経済的妥協を理由に地元の大学を選んだ身分だった。

東京にはいろんな人がいたものだった。自分と同じような孤独を地方で抱えてから必死に上京した人、わたしが想定している世界を上回るほど突き抜けていた感性の人、頭の回転が速すぎて何を話しているのかわからないような人、見たこともないようなことを平気でしでかすただただ狂った人。そのすべてに、上京するたびに救われていた。

その反動、福岡に帰ればわたしはいつも孤独で退屈な日々と戦うことになる。福岡空港に降り立つ瞬間のため息が出るような虚しさは、いまも夢に見ることがある。わたしの住む福岡には、なにも面白いものが無かった、面白いひとがいなかった。いや、正確に言えば少なくとも、わたしの目には入らなかった。

人は言う、いるけどあなたが見つけられないだけなんじゃあないの? 

いや、違う。

面白いひとはすべて、都会へと取られてしまうのだ。わたしが思う面白い人は、野心のある人間で、だからそんな奴は大学進学の時点なんかで、ちゃんと野心の街を必死に選ぶのだ。福岡に残った面白さのある人は、東京などに対してムキになって突き進んだりしてしまっている人も多く、それはわたしにはひどく白々しく見えたのだった。

東京にはあって、福岡にはないものが絶対にある。そんな感覚が毎日、胸に募った。文化資本で満ち溢れていた東京に最初から住む人間には、きっと地方で苦しむわたしの羨ましさはきっと理解できない。刺激的な環境で、さまざまな情報まで容易に手が届く場所で、野心に満ちている人間たちはさらに新しい話題を紡いでいく。

ユニークな人間がいる、いないという話だけならまだいい。小粒でマニアックな個展も、将来のスターが荒削りに音を奏でるライブ会場も、新宿の地下の妖艶なストリップ劇場も、国立と名のついた大きくて立派な博物館も。そのどれもが福岡には欠けていた、不足していた。

福岡で盛り上がろうという集いも、東京のマネにしか見えなかったし、ユニークさには欠けていて、うんざりした。なによりすべての規模が小さい、イベントの数も少ない。福岡は、いつだって劣化版東京にしか見えなかった。今もなお、少しそのように見える部分はある。逆に言えば、東京でそこそこなんだけれども、大成はできない。そう判断した人が東京から移住するぶんには、目立ちやすくいい街、だとは思った。

ここでは、地方でしか活躍できない人間が、虚勢を張りながら生きていることも多い。その白々しい嘘に気づき、目の前の人間を直視できないこともあった。

東京へ出る選択肢もあった上で、福岡で生きることを決めた人間はたくましい。わたしのように東京へ出てみたいけど、出られなかった人間の挫折は見苦しい。

そして。わたしはただ、東京へ出ることを考えたことすらないような人たちの、ぬるま湯に心折れ、ここで同じぬるま湯にいる人間とされていることにひどく苛立っていた、うんざりしていたのだった。

違うのに、と大声で言いたかった。でも言えなかった。だって違う選択肢しか選べなかった、経済的理由くらい簡単に吹っ飛ばしてやるよと息巻くような、ガッツのない人間はこちら、わたし自身なのだから。

人生で初めてパチンコをうった、麻雀をうった、大学時代だった。軽自動車を仲間に運転してもらい、田舎の深夜のドン・キホーテへと向かう。ギラギラと輝く店内で、くだらない話を始める。首都高ではなく、都市高を駆け抜ける。夜中にお腹が空いたのなら、国道沿いのジョイフル(九州を中心に展開する安いファミレス)に行けば良い。別に大学の周りに、渋谷や新宿、銀座があるわけじゃない。大学の最寄りにある店は、だってドン・キホーテだった。電車にも乗らずに、原付や自動車通学をする状況は、ドン・キホーテが最寄りの店であることは、ジャージ姿で通学することをすぐに慣れさせてしまった。格好悪いけど、ぬるま湯で、居心地のいい格好。

うっかり、福岡の大学へと進学してしまったことを、わたしはあの頃も、そして今もとても後悔している。

九州でトップといわれる大学へと行けば……さすがにきっと今までとは違う環境となり、それなりにきっと気の合う友人もいるであろう……そう信じていたのもつかの間、入って2ヶ月で、わたしはもうこの大学で気の合う友人を見つけることはないだろうと、大学の食堂でひとりため息をつき、完全に諦めた。

そこには勤勉で素晴らしい友人が溢れていた。真摯で素敵な人間性の、尊敬すべき堅実な人間が山ほどいた大学であった。しかし、それは同時に、この地方の片隅から抜け出すことを選ばなかった人間たちの親が安心できるような優等生集団で、野心に満ちていたわけでも、どこか狂った面白さがあるわけでもない証拠でもあった。親の手を煩わせていたようなわたしが、親の手に負えないと言われたほど苛烈で色々なことをやりたかったわたしのほうが、うっかりそんな場所に迷い込んでしまっていただけなのだ。周囲が悪いわけではひとつもなくて、うっかりで大学を選んでしまったわたしのリサーチ不足だったのだ。

自分と同じように中学時代に背伸びしてニーチェを読んで毎日考え込んでいた偏屈な人間にも、三島由紀夫の描く日本語の美しさに打ち震えて夜中にマジで壁に頭を本当に打ちつけたひとにも、わたしは大学内では最後まで巡り会えなかった。似たような経験でもいい、まったく違った経験でもいい、そんな気迫も覚悟も、ときに狂った熱量も、この大学のどこにも落ちていなかった。東京ではあんなにも簡単に見つかるというのに、その諦めは、卒業した今もなお消えない。若かった頃をあの場所で過ごすことにしたわたしの愚かさを、いまもわたしは恨む。この後悔はいつまで続くのだろう。

卒業後、わたしは東京に入る隙を感じなかった。福岡の隅っこで、本当に一緒にいたいと思える仲間と出会うこともできずに小さく生きてきたわたしは、とても頭がぼんやりしているようだった。もしかすると東京で生きていたとしても、同じような状態だったのかもしれない、とはどこかで言い訳するように思いつつも、やっぱり福岡からは東京にいまさら、行けないよ。わたしは、福岡を出る勇気を持てなかった。新卒のまま、地元の企業にそのまま就職した際に、これでいいのだときっぱり諦めていた。東京に、行きたかった。夜中に枕に顔を沈めてこの言葉を叫んでいたほど、東京に、行きたかった。

当時付き合っていた男は同じ大学にいる学生で、わたしより年上だったが、学年は下だった。彼は国際基督教大学に一度は進学したものの、震災を機に心が折れ、地元がいいと戻ってきて大学を再受験したという保守的な思想の持ち主で、同じように東京に挫折していたわたしたちはゼミで出会い、すぐに付き合った。弱っていたわたしたちは、傷を慰め合うようにして生きていて、もはや一緒にいない理由のほうがなかった。

彼は卒業後に隣の実家のある大分県に戻り、県庁で働きたいという。わたしもそれに合わせて、地元で就職先を選んだ。就職が決まった後は、タバコを吸ったりパチンコをまわして過ごし、ただただ一緒にベッドで深く眠った。今思えば、あのときのわたしたち2人は一種の共依存の関係で、しかも共に鬱状態のようなものだったように思う。お互いが目の前にいなければ、どちらもご飯を食べないような生活が続いていた。もう何も考える気はなかった、それいいと信じていた。

それなりに居心地もよくなっていたのだ。既に、とっくに、地方のぬるま湯に染まり、わたしたちはぷかぷかと浮かぶようにその一部となっていたのだ。

ジャージでドン・キホーテに行くこと、イオンで服から映画まですべてを済ませてしまうこと、若くして子供を産んだ同級生が「わからない」と言って年金や税金の書類を片手にちょっと頭のいいやつとして知られているわたしに聞いてくること、EXILEを口ずさむ友人がとび職をしていてケガしたというのに労災という言葉さえ知らなかったこと。すべてに慣れていた、ここがわたしのぼんやりとした頭と身分に適切なのだと信じていた。

インテリぶりたいくせに、地方のマイルドヤンキー文化に染まっていたわたしは、どうしたらいいのかわからなくて、結局地元を愛することが正解のように思えて、福岡を出られなかった。東京に憧れているくせに、東京ではすぐに自分が埋もれるのではないかという自信のなさもあって、その舞台に直接立つ勇気が持てなかった。

わたしの中途半端なインテリぶろうとする精神は、東京ではきっと、えらくダサいものであろうし、という歪んだ悲しいプライドもわたしを邪魔していた。隣にいる男が似たような境遇で、それを見て安心もしていた。

さてしかし、この前の9月。事件が起きた。とんでもないことがきっかけで大分県庁希望の男とは別れ(これはいつか大きなネタとしてインターネットに書き散らそうと思う)、そこで以前からの知り合いだった東京の男にいざなわれて、わたしは新卒の会社を数ヶ月でやめ、東京へと来ることになってしまった。

そして今、神保町の大きな出版社の机の上で、やりたかった原稿を書く仕事をしている。転職は簡単だった。踏み出せば、拍子抜けするほどに移住することはとっても簡単だった。なーんだ、と思う反面、こんな簡単だったのにわたしは何をしていたのか、と小さな絶望もした。

加えて、こんなにも憧れていた東京は、予想通りだった。毎日が刺激的で、踏み出しさえすればすぐに会いたい人に会うことができる、チャンスにあふれている。この街は、わたしを鈍化させるどころか鼓舞するように誘導してくれる。

東京に疲れて、地方に行くことを正解だというひともいる。そういうトレンドも事実ある。だけども、わたしは東京へ来ることが正解だった。その証拠に、人生こんなにも穏やかな気持ちで過ごせていることは初めてなのだ。趣味や気の合う友人に、初めて会えたのだ、田舎だけが世界の全てではなかったという実感を得ただけでも泣きそうになる、浮いていただけだったわたしは、ここではそんなに浮かない事実に驚きもする。

毎週仲間達とと話しながら企画を立てたり、激論を交わせる幸せは何事にも変え難い。

歴史の偉人たちが通っていた浅草の老舗の鰻屋へ、溢れんばかりの尊敬心と胸の高鳴りを抑えながら昼食を食べに行く。国立国会図書館へ今は絶版となってしまった小説を探しに行き、お茶の水女子大学で受けたかった聴講講座を受けに行く。新宿のゴールデン街で気心知れた仲間と飲み歩き、タモリ倶楽部で見た有名人と同席になりおごってもらう。

すべてが新鮮で、すべてが望んでいた通りで、きらきらしていた。何者かになれなくても、何者かになろうとしたわたしの葛藤はこの街に不器用に刻まれるのだから、それでいいとすら思えた。

では、ダラダラと住んでいた福岡への未練はということ、これがもうさっぱり無い。福岡へ帰る気はもう、さらさら無い。わたしは、福岡のぬるま湯にいることで、守ってもらっていた。そこには今もなお強く感謝している。しかし踏み出してみれば、きついことも多いがあの場所に固執する理由は無かったのだと気付かされる。(そりゃたまには帰省はしたいけれどね)

いま、東京人のふりしてハイヒールを鳴らして歩いている銀座。カツカツと音が響くたびに、何者かになりたいわたしの努力がそこに積み重なる。この街でなら、いつか何者かになれる、仲間にも恵まれる、きっときっと、希望に満ちている。そう信じてるわたしはいま、そのことを疑わない。

東京の初任給をそのままぶち込んで、奮発したてのシャネルのバッグはまだ真新しい。こんなわたしが、ジャージを着てEXILEを友人と口ずさんで、ぼーっとしながらパチンコをまわしていた。

……と、いうことを、東京にいるとわたしはすっかり忘れてしまいそうだ。

***

読んでいる中でそうだろう予想している方も多いでしょうが、ここで東京へ誘ってくれた男が何を隠そう、いまの夫です。いやはや、感謝ですよねえ。

東京へ来て、わたしの人生は確かに変わりました。しかし今となって思えば、東京という場所がそうしたのではなく、結局、わたしは踏み出すきっかけをただ探していただけで、しかも言い訳のように福岡を隠れ蓑にして自信のない自分を守っていただけなのだと思います。きっかけを探していただけの、弱い人間だったことが手に取るようにわかる文章で、読んでいると自分で若い頃の自分を抱きしめたくもなりますし、お説教したくもなります。福岡のせいにすぎやぞ、お前。

そんな甘く青く、無謀でイキった東京信者の若者も今は母親となったということでここはひとつ、落ち着いたわたしに免じてお手柔らかに飲み込んでいただければと思っております!

(ここまでの文章を書いておいて、福岡に戻ってもいいなと今は思っているんですから、人間って本当に不思議なんですよ、HAHA……)

さて、いつものことながら、Twitterで様々な感想をくださる皆さま、心より感謝しております。

今回も番外編とはいえ、変わらず感想大募集中ですので、ツイート内に「雨宮美奈子」を入れていただくか、ハッシュタグ「#文責・雨宮美奈子」にて感想いただければ幸いです。

毎週気合を入れて長々と書いていましたが、今回ぐらいの長さのエッセイでもいいのかなと思いつつ……今後ももう少しバランスを探ってみますね。


購読してくださっている皆さまに改めて感謝し、愛を込めて。今もきっと葛藤している地方のどこかの少女に、想いを込めて。

昔は地方の少女だった、あなたに同志の握手を込めて。

引き続き来週以降の本編もお付き合いくださいませ、以上、雨宮美奈子でした。

<文責・雨宮美奈子>

__________

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