マドンナの名曲で踊る我が子は、電気羊の夢を見るか? #文責・雨宮美奈子
しぶとく続く冬の寒さに、なんだかまだまだ肩の力が抜けませんね。
おはようございます、雨宮美奈子です。
リニューアルした今週から、「時事ネタ」「個人的な話」「おたよりへのお返事・相談コーナー」を軸にしたゆる〜い3本立てでお届けして参ります。月曜日から日々を戦う皆様の、小さな一息つける時間になれば幸いです。
東京マラソンをどうにか開催しようとしているらしい話
なにか時事ネタについて書こうかなあ、どんなニュースが最近あるかなあ、とネットのニュース記事をウロウロと徘徊している時に見つけたのがこの記事。
ちょっと驚いてしまったので、今回取り上げてみようと思います。
なんでも来月、2年ぶりにどうにか久々に開催しようとしているらしい東京マラソンの話なのですが……。
何がすごいって、マラソンを実施する場合は「参加者全員にPCR検査を実施する」という話なんだそうです。いやこれ、参加者が約2万5000人いるとのことなので、マジで言ってる?本気か?となってしまいました。まだびっくりしてますよ、いやお前、本気か?
昨今の状況を見れば、2万5000人も検査したら陽性者はもちろん何人も出てくるでしょうし、それで陽性者は出場禁止にしたところで絶対に抑えきれないし、加えて正確な結果ではない確率も絶対に一定ありますし、何より2万5000人がマラソンに参加するためにPCR検査のリソースを使っちゃうの?というのが素朴な疑問として出てきました。あと、全員にきっちり検査したと仮定しても、そこから当日までの期間にやっぱりウイルス持ってきちゃう人絶対いるわけですし。
個人的にはコロナという感染症とは人類はどこかで妥協点を見つけて、うまく経済活動・社会活動をまわしていくしかないとは思っている派なのですが、マラソン開催のために2万5000人にPCR検査かあ……という気持ちには正直なってしまうんですよね。
PCR検査する人手を、手間を、なんだか別のことに使って欲しいしなあ、という気持ちもあります。PCRをそもそもこんなに大量にすればいいってもんでもなかろうよ。
マラソンって屋外開催なわけだし、スタート地点での密な感じをどうにか分散させることさえできれば……。あと、スタートギリギリまでマスク着用とかにすれば、もうあとは屋外を走り抜けるだけなんじゃないかなあと思うんですが……どうなんでしょう。
でもなんだか、都が協力するビッグイベントで開催する手前、こういうことをやるぜと言い切らないといけないんでしょうね。
しかしこんな前例をマジでやっちゃったら、今後類似のイベントで「東京マラソンではPCRやってたんだから」という話が引き合いに出されて、もっともっと息苦しくなりそうなもんですが。お金も手間もかかることばかりでは、経済活動 is 終わっちゃう。
冷静なデータや根拠での話ではなく、検査やってますよ〜というアピール、姿勢を出しておくことが大事な謎の圧力を感じます。まさに日本社会っぽいな、と思った個人的な注目ニュースでした。いやぁ、コロナ、いい加減しんどいよね。
マドンナの名曲を聴くと横揺れでノリノリになる赤ちゃんの話
最近、うちの赤ちゃんはマドンナが1984年に出したヒット曲『マテリアルガール』が大好きなようで、どんなに不機嫌な時でもYouTubeでPVを再生してあげると途端に嬉しそうに横揺れしながら踊り出します。泣き止ませる効果、抜群。
1984年といえば、ママ(私)が生まれるよりもさらに6年も前の年。
中曽根さんが総理が務めていた頃で、グリコの社長が誘拐されて大事件になって、ロサンゼルスでオリンピックが開会された歴史に残る年。そんな時代に発売された古き良き往年の名曲は、昭和から平成を超えて、令和生まれのベイビーにまで刺さってしまうんだなあと驚いております。
しかしね、この「マテリアルガール」、いい曲なんですよ。
日本語に直訳すれば「物質至上主義の女の子」という感じのタイトルになるんですが、適切な訳語はたぶん「物欲にあふれた女の子」ってな感じです。
サビを訳してみるとこんな感じ。(私の訳なので大体こんな感じということで)
だって私たちは資本主義の世界に生きている、
そして私だって物欲にあふれている
そんなことはとうに分かっているでしょう?
わたし、欲にまみれている女の子なのよ……ねえ
曲が発売されたこのときは、日本でもバブル最盛期の頃。
きらきらとお金が飛び交うあの頃は、平成生まれのわたしたちが決して知ることのない輝きを放っていて、派手なチャンネー(女性)がメッシーやアッシーと呼ばれた男性(言葉の意味がわからない若者はググってください)に「大きなダイヤをくれなきゃ!」ってなことを言って、男性がそれへ応えたりすることが素敵だとされていた時代です。要するに、好景気。
で、ありながらも、実はこの歌はなんとも皮肉なもんで……
歌詞では「私は欲にまみれた物質主義の女!お金のない男なんてお断り!」と繰り返し言いつつも、PVでは「ダイヤばっかりくれる男はいやだ」とか言って、一見矛盾している展開を見せます。なんじゃそれ……。
引用:http://chochotakamuneek.blog.fc2.com/blog-entry-2.html
そして最後には、お金持ちの男が金にものを言わせて「お金を払ってわざと農夫っぽい貧しい格好をして」彼女を迎えにいくと、これこそが真実の愛なのね!と言わんばかりにマドンナはその貧相な格好の男(本当はお金持ち)にOKを出して愛し合うのだった……という物語が展開されています。いや、なんじゃそれ……。
「わざと貧しい格好をした男と愛し合う」ことで、ワタシってば物質だけでなく心でも満足できるのよ!……と言い張るその姿は、メタ的に一周まわって、まさに皮肉そのもの。
結局お金がないと成り立たんのやんけ!、と思わず全方位からのツッコミを待っているかのようなPVは、何もかもがアゲ⤴︎な時代だったからこそ作ることのできた作品で、資本主義としての輝きを失った平成しか知らない平成生まれの私は、ついついゲラゲラ笑ってしまうわけです。マジかよ、という気持ちになります。
どうなんだろう、昭和の輝きに満ちたあの頃を知っている人からすれば腑に落ちる内容なんでしょうか……。
で、うちの赤ちゃんの話に戻るわけですが。
我が子ってばこの歌を嬉しそうに踊ってニコニコと私のほうを見てくるわけです。「ママ、見て!」と言わんばかりの笑顔で、しかもなぜか手に持ったおもちゃを猛烈に破壊しながら。
現代社会に即した綺麗事を言うならば、「この子には物質至上主義なんかではなく、歌に反して、心や精神性を大事に成長してほしいな……♡」なんてことをもっともらしく思えばいいのでしょうが、そのおもちゃを破壊させながら踊る様子に、どうしてもわたしはニヤニヤが止まりませんでした。うーん、なんだか示唆的です。いやぁ、これでこそ我が子だわ。
「マテリアル!(物質至上主義だ!)」「マテリアル!(資本主義だぜ!)」と連呼されるコーラスに合わせて破壊活動をして踊りまくる我が子。
ここから母がこのPVで感じた以上の、さらに上回った目線から何かメッセージを発しているように感じてしまうのですが……やっぱり気のせいですよね。これこそ深読みしすぎている猛烈な親バカなのでしょう。
現在1歳になった我が子が大人になる頃の社会では、物質主義は逆に古き良きものみたいな扱いになっている気がします。既に今でもデータ保存やペーパーレス、ミニマリストという言葉が飛び交うわけですから、未来ではきっとこう言うのかもしれませんね。
「まだ実物(モノ)に囚われているの?」
ということでこの名曲、聴いたことがないよという若者がいるのなら、騙されたと思ってちょっと一度聴いて欲しい。もちろんPV付きでよろしくどうぞ。
(ちなみに完全に余談ですが、音楽におけるPVという概念をMTVを通して定着させたのはマイケル・ジャクソンとマドンナのふたりが中心なんですよ、だから尚更PVで見て欲しいものです。ちなみにちなみにこのふたりはタメなんですよね)
マドンナが敬愛するマリリン・モンローを模した姿は、一見の価値あり。
令和のベイビーにもヒットするこの曲、この時代に初めて聴いてみたという皆さんの感想も知りたいところです。
今週のおたより&お悩み相談
先週募集させていただいた、わたしからのお返事をさせていただくおたより&お悩み相談のコーナーでは、いくつかのご相談を頂きました。皆さま、ありがとうございました。
今週はそこからひとつのご相談を掲載してお答えをさせていただきます。
結構長くなってしまったのですが……真剣にお答えしたので、よければお読みくだされば幸いです。
特にお答えの後半は、もう言葉を選んでいられなくて“ヤバい”語彙力で話していますが、どうかご容赦ください。
【相談者名:京災禍さん】
一言で言うと妻が対等なパートナーシップを築こうとしません。
偉いのは私、守るのはあなた、なのはまぁ良いとして、経済的な負担が一方的で家賃、光熱費、保険料等が全て私持ちです(食料費のみ妻)。都内住みでこれはなかなか厳しく、自由なお金がありません。妻は働いており、私よりも年収が高い状態であるにも関わらずこの状態です。その上、なぜあなたは貯金ができないのだと叱責し、自分は月に◯◯円貯金をしている、だから私は偉い、と迫ってきます。私がランニングコストを負担して妻が貯金できているのならそれで良いのではと思うのですが……。お金や資産の話になると急激に感情的になるため、将来設計についての話し合いが全く成立しません。ちなみに世帯収入は1000万円を超えています。
先日はタバコを吸っていることに立腹され、家を追い出されました。またある時は「疲れた」と呟いたことに「私を心配させないでくれ」と怒られ、またある時はビンタされたりもしました。この様な状況は普通なのでしょうか?
離婚こそ考えていませんが、パートナーシップのあり方にギャップがあり過ぎてついていけません。対等な関係という概念がそもそも無いように見えますが、これを教えるにはどうしたら良いでしょうか?
【以下、お返事】
京災禍さん、ご相談をありがとうございました。
まず内容を拝読して最初に感じたのが、相談者である京災禍さんの精神が果たして大丈夫なのか、という心配です。とても淡々と書かれていますが……この状況では己が思う以上に疲弊している気がするので、タバコを吸うだけで追い出されてしまう家庭以外の場所……会社やサークル、なんなら会社帰りに寄る喫茶店の一杯でもいいのですが、どこか別の場所で心が落ち着く場所がひとつでもあることを祈っています。ないようであれば、どうにか作って欲しいなと感じます。
その上で、回答させていただきます。
まず「この状況は普通か?」という質問に対しては、「普通ではないと思うが、よくある話だとは思う」というのが正直なところです。
京災禍さんの書かれたことが全て事実だとすれば、簡単に言えばお相手はヒステリックな傾向のある、モラハラ気質の人ではあるのだと思います。しかもこれは完全に個人的見解ですが、残念ながらこういう人に限って社会的には結構優秀で、外ヅラは立派に見えたりもすることが多いように思います。(現に年収は高いとのこと)
外からは見えないけれど、内情が似た状況の夫婦は個人的にも何人か知っています。きっとよくある話なのだと思います。
もちろん、これが原因で離婚までいく人も多いと思いますが、なんとなくふたりだけの話としてひっそり解決されない状態のまま続いている人がとても多いように思います。それでも夫婦って、なんとかやっていくしかなくて、成り立たせていくしかない、と一般的には諦めている人が多いのではないかと思います。
もしかするとお相手は外で出せない鬱憤を、甘える形で京災禍さんにぶつけているつもりなのかもしれません。満たされない承認欲求を、パートナーである京災禍さんに無茶でも誇示することで、なんとか精神を保っているのかもしれません。
読んでいると「甘えているなあ」と思ってしまいます。
ですがそうだとしてもこれは京災禍さんにとって、ただの支配、ですよね。
次に、京災禍さんは「対等な関係の概念がない、教えなきゃ」と仰っていますが、態度から察するに、お相手は「対等な関係はどういうものか知っているが、甘えまくりたいから、そういう関係を築くのが絶対に嫌」なんじゃないかなと思いました。
私が上じゃないと気が済まない、といったようなお相手のプライドの高さを説明の随所に感じます。いわゆる男性的な守る役割を相手にちゃっかり頼んでおきながら、絶対に偉いのは自分なんだもん!としておかねば嫌なタイプなのでしょう。
とすれば、これは結構厄介です。
大人になると、ひとはそう簡単には変わりませんし、こちらがどんなに根気強く懇切丁寧に伝えても頑固でプライドの高い人には伝わることはなかなかありません。
……そしてこれは、京災禍さんにも同じことが言えるのではないか、と思うのです。